うひょう、真面目なタイトル。
なんか書いた自分がこっぱずかしくなりますが、
今日は心について、好き勝手語ろうかな、と。
心について語る。
なんとも難しい話ですが、
そうなった時誰もが思うのは、やはり心の場所、在り処でしょう。
誰かは心は胸のあたりにあると言い、
誰かは全て脳が起こす事象という。
確かにモノを考えるのは頭で考える。
心で考える、とは言いません。
詳しい話は省きますが脳の中で電気信号が送られ(以下略
とにかく頭で考えますよね。
では何故心という言葉が生まれたのか。
脳で考えるのであれば、心というのはあるはずがない、
存在しないのだから、心という言葉があるわけもない。
しかしながら心という言葉はある。
ということは、言葉が生まれた時から、
誰かが、もしくは万人が心の存在を認めたのだと思う。
だからこそ、心という言葉が存在する。
つまり、心は存在する。
しかしながら、人間の臓器に心はない。
明確に証明するものもない。
人間が「感じる」ものは全て脳で判断している。
だけども心というものが存在する。
じゃあ一体心では何を感じているのか。
大体の人は人間関係での思うところ、
例えば「恋愛・憎悪・幸福・妬み」
それこそいろいろありますが、感情、とくくられるもの、
それが心によって感じられるのだと思う。
恋愛で苦しんでいる時は
胸のあたりがきゅーっとなりますし、
幸福だ、と感じる時は胸のあたりからぱーっとなにか
軽いもの、表現しにくいのですが、
それこそ宙に浮くような幸福感、を味わうだろうし。
また、殺したいほど憎い、という時は
何か胸のあたりがどす黒い感じ、
これも説明しにくいのですが、そんな感じになると思います。
一体これは何が起こす事象なのか?
脳が判断し、体の中心にそのような信号を送っているのか。
それとも、ストレス、もしくはアドレナリンやその他幸福物質の供給により、
心臓が何かしらの影響を受けるのか。
何が影響してるのかわかりませんが、
とりあえず胸のあたりで何か感じるものがある。
それが心。
時には頭で考えるのではなく心で感じる、
そんな風にして判断を下す事もあるかと思います。
それがよかったにせよ悪かったにせよ、
心に従ったのだから、と満足することも多々あると思います。
いつも切羽詰ってると、なにやら胸のあたりが苦しくなる。
そんな時は1時間でも30分でもいいので
一人になれる時間、そして広い空間でぼーっとするのをすすめます。
自分は心の存在肯定派なので。
たまーに近くの河川敷にいって
ぼーっとすると心が癒される(正確には体が癒されるというのでしょうか)
感覚になるので。
そんな時間が人間には必要だと思います。
もしもやもやした感じを心に感じるのであれば、
少しの間でも一人になって何も考えず、
ぼーっとするのをオススメします。
ええ、今の自分がそうですので・・
心を満足させるにはなかなか難しいですね。