人によって見方が違うとか、
見解が違うとか、
つまりは
人によって
見え方が違うということではないか。
外見面でも中身でも。
例えば俺が見たAさんと、
赤の他人が見たAさんとでは、
まず外見面だけでも見え方が違う。
つまり印象が違う。
同じ顔、同じ格好、同じ髪型をしていたとしてもきっと見え方は違う。
人によって俺という人間も、
外見の、表面的なーは同じかもしれないが、
心で意識する、もしくは魂で意識するというのか。
そこでの認識の仕方は様々であると思う。
ちょうど人によって好みの顔が違うように。
「美人(かっこいい)とは思うけどタイプではない」
というのは、聞くだけではなく自分にもあてはまるという人はいると思う。
ていうかそうじゃない人はいないだろう。
人によって好みが違うというのは見え方、意識の仕方が違うということ。
となると、人によって人間だけではなく、その他の生き物、
つまりは人間以外の生き物に対しての見方も様々であるという事。
豚を見て、かわいいという意識を持つ人もいれば、
汚いという意識を持つ人、おいしそうという意識を持つ人、
なにも思わない、つまりはただの肉片と思う人、様々であると思う。
それだけ人というのは、例え同じ器官を持っていたとしても、
見え方が違う、見ている世界が違うと言える。
要するに、人は皆違う世界に生きているんじゃないか?
共存しているように見えて結局は世界が違う。
重なり合ってるように見える部分も、
見えてる部分で同じだけの事、
点と点で重なり合って見えているだけで、
その広い部分、
線の部分は同じ線を辿ってはいない。
線と線が交差している部分でだけ共感を受け、
お互いわかりあったような気分に落ち、
そういった話をしたりするのは自分と同じ感性を持った人種、
というか種類を得たという満足感を得るため。
広い部分でみると、わかりあっているのはわずか1%にも満たないのではないか。
これは生まれ育った環境もあるだろうし、意識の違いもある。
単純な視覚による見え方だけではなく、
そのさらに内側、深層心理とも言えるし、前述した魂の違いとも言える。
同じA君を見たとしても、人によっては全く別の生き物に見える。
同じ人を見ても、かたや人間に見えるかもしれないが、
別の人から見れば他の動植物を食い荒らす悪魔に見えるかもしれない。
自分の見ている世界が確かなものか。
自信を持って言えますか?
なんかね、見切り発車で書いたからまとめるとかできなかった。
なんとなく言いたいことはわかってもらえたかしら。